人生の切り替えの時
10年以上、1000回以上書き続けてきたはてなダイアリーのブログが、まもなく終了し、はてなブログという新方式になるそうだ。
確かに慣れてはいたものの、様々な SNSが登場し使い勝手がよくなっているのに比べ、扱いにくい感じはしていた。でも、長文を描く場合は、それなりの心構えが必要だからと気にしないようにはしていた。
でも、おそらく、その扱いにくさゆえに、ブログにわざわざ文章を書くという人は減り続けているのだろう。そうして、ブログに書かれていることも、SNSに書かれていることも、差がなくなっていくのだろう。
それも時代の流れ。意固地になって抗っていてもしかたがない。
方法は変わりつつも、本質的に変わらないように、ということが大事なのだろう。
人生は、こうした切り替えの連続で成り立っている。
新しい環境を、どのように前向きに捉えていくか。ネガティブな感情に引きずられてしまうと、たちまち、負のスパイラルに陥ってしまう。
自分に言い聞かせるわけではないが、たとえ悲しい出来事であってもその変化を受け止め、自分の置かれた状況を理解すること。
そして、なんとかなる、なるようになると、どこかで開きなおって変化を受け止めること。
昔からそういうスタンスでやってきて、そのため、ドロップアウトも繰り返してきて、以前の自分とまったく違うこと、違う状況の中にいて、久しぶりに会う人に、その切り替えの大きさに戸惑われることもあるが、一貫性がないと言われてしまえばそれまでだが、自分の中では本質的に変わらず、いくつかの人生のパターンを経験させてもらっている、という風に受け止めている。
悲しすぎる出来事も、きっと運命が自分を耕してくれているのだと信じていたい。
色々と複雑で心苦しいことが重なって、そのまま落ち込んでいくのではなく、発想を変えて、その状況だからできることを、とりあえずやっていると、そのとりあえずの中から、新しい種が生じて、それが今までと違う形で育っていくことがある。その成長の方向に、自分の人生を合わせていくために、シフトチェンジ。
という流れからなのかどうかわからないが、京都の東山に暮らし始めて4年半、気に入っていた場所だけれど、動こうと決意して、新しい場所を探し始めて一ヶ月も経たないうちに、京都の西に新しい居場所を見つけた。
これまで長く生きてきて、始めて認識したことだけれど、同じ市内の西と東で、朝の始まりが大きく違うということ。
東山は、東に山がそびえているので、朝日を見ることができない。そして朝は暗い。整理感覚として、朝の始まりが遅くて、いつも8時に起きていた。
6時とか5時に起きていると友人が話すのを聞いても、そんなに暗いうちから活動しているのだとしか思わなかった。
しかし、京都の西は、朝がものすごく早い。そして、朝日と朝焼けが素晴らしい。だから自ずから早起きになる。荘厳なまでの朝日を見たいという感情の力の方が、ベッドでグズグズしていたいという気持ちを凌駕するからだ。そうすると、夜も早く床につくことになる。
1時に寝て8時に起きるという生活を20年以上続けていたが、そういうライフサイクルも変わっていくだろう。
そして、京都の西に居場所を見つけて、昔、話だけ聞いてわかったつもりになっていた白川静さんの桂川周辺の早朝散歩のことが、15年も経って初めて実感として少しわかるようになった。